短歌鑑賞2

荒津 憲夫 (あらつ のりお)

人物

 徳島県在住。

鑑賞

朝礼はときおりさびし喋りいるわれを見ているわれを思えば

 管理職にある人も大変だと思います。朝礼での指示や訓話にも神経質なまでに言葉を選んでいるのではないでしょうか。従業員が気持ちよく意欲的に仕事に臨めるように気遣いながら、時としては苦言も呈さねばならない、基本的には経営者の側に立って話をしなければならないということになります。

 詠み手の中に、社会的立場を持った「われ」とは別の、人としての「われ」が職場にあってもふっと立ち現れてくるというわけです。企業内で仕事に打ち込んでいる時は、さびしさを感じる余地はないのかもしれません。しかし、企業の中で重要な位置を占めればそれだけ自分の意とは異なる行動も強いられてくることでしょう。そして、企業人としての言動が、本来の自分と遊離した立場上のものとなった時に、さびしさが忍び込んでくるのだと言えます。

 人は誰もが社会的役割を演じて暮らしています。そうした役割をすべて取り除いた本来の自分などあるのか、と言えばむずかしい問題になります。しかし、その役割を文字どおり「演じている」と感じる時があります。この詠み手にとっては、そう感じることの条件がとりわけ大きく在ると言わねばならないでしょう。

 この歌は、そうした自己と社会的自己の乖離をさびしんでいます。

2008年

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