短歌鑑賞2

北沢 郁子 (きたざわ いくこ)

人物

 1923年〜 (大正12年〜 )。長野県生まれ。

 結社「藍」。「想ひの月」「神の木陰」「冬のなでしこ」

鑑賞

セメントの小径カサカサ歩みゆく鶺鴒の趾の爪痛まずや

〔注〕趾……(あし)の振り仮名あり。  ※2012年の作。

 一読してわかるとおり、鶺鴒を案じた歌です。私自身、川べりを歩いていて鶺鴒やそのほかの小鳥を日ごろ目にしています。小鳥たちがセメントの舗道に来ていることもしばしばです。詠み手は、そんなときの鶺鴒に身を寄せて歌にしています。

 鶺鴒は小さな鳥。その小さな脚の、その爪にまで思いをいたすところに、詠み手の小さな命への慈しみが表れています。そして、「痛まずや」は、単なる疑問ではなく、まるで鶺鴒に語りかけるようないたわりを感じさせるものになっています。

 この歌をもう一度読み返すとき、上の句の描写からすでに詠み手の思いが込められていることに気づきます。 「カサカサ」というオノマトペを片仮名表記することによって、硬質なものに擦られる痛みを効果的に表現しています。そして、そうした鶺鴒の痛みを詠み手自身が想像のうちに感じているかのようです。詠い始めから詠み手は鶺鴒に同化していると言えるでしょう。

 歌からは離れてしまいますが、「セメントの小径」が現代の状況を象徴しているとすれば、鶺鴒のみならぬ、人間の生きづらさといったことに連想が至ります。そして、人間的な面で少々不都合がたとえあったとしても、出来上がったこの状況を生きてゆくしかないのだとも思います。

 ひとつの状況にあって、小さなものを案じる共感ややさしさ、そういったものを大切にしたいと思います。この歌に見るやさしい感性は、このうえもないものだと思います。

2013年

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