安藤 兼子 (あんどう かねこ)
人物
岡山県在住。
鑑賞
こてんぱんに敗けたるらしく「歩」の顔に帰り来たりぬ傘もささずに
〔注〕歩……(ふ)
第三句〈「歩」の顔に〉がこの歌にユーモアを添えています。そして、この比喩によって、子どもが将棋の大会から帰ってきたのだという事実をも伝えています。巧みな比喩だと思います。
歌は四句切れ。第五句として付けられた「傘もささずに」が、子どもの落胆ぶり、無念さを浮かび上がらせています。詠み手は、その子どもの気持ちをしっかりと受けとめています。顔を見ただけでこてんぱんに敗けたことを察知する詠み手ですから、子どもの無念さもまざまざと感じとっていることでしょう。子どもの気持ちをあたたかく見守る親の気持ちがよく伝わってきます。
大人からすれば、将棋ぐらい≠ニ思うかも知れません。しかし、子どもにとっては自分の存在をかけるぐらいの重みをもった問題なのです。詠み手は、そのことを充分に知っている親であろうという気がします。また、落胆している子どもに、大人は、またこの次がんばればいいさ≠ニいった風に励ましや慰めの言葉を掛けがちです。しかしこの詠み手はそうはしないような気がします。子どものつらい気持ちを共有しながら、「歩」の顔になってるよ≠ネどと言って、子ども自身が気持ちを明るく立て直すのを見守るのではないかという気がするのです。
〈「歩」の顔に〉という表現は、そんな詠み手の人柄をも想像させてくれます。
なお、「歩」が否定的なものとして捉えられていますが、将棋の世界では「歩」も重要な役割を果たすものとしてあることは言うまでもありません。その点では、将棋を知る者にとってはこの歌における比喩は理解しがたいかもしれません。
2008年