短歌鑑賞2

奥田 亡羊 (おくだ ぼうよう)

人物

 1967年〜 (昭和42年〜 )。京都府生まれ。 結社「心の花」。 歌集「亡羊」。

鑑賞

いいと言うのに駅のホームに立っていて俺を見送る俺とその妻

 上の歌を次のように改作してみましょう。

いいと言うのに駅のホームに立っていて俺を見送る友とその妻

 当たり前の歌になってしまいましたが、内容は非常にわかりやすくなりました。去ろうとする「俺」を駅のホームまで来て見送っている友達夫婦は、礼を尽くして別れを惜しむほどの厚意を抱いているのかも知れません。それに対して「俺」は、有り難いものの、そこまでされると逆に自分にとっては迷惑だし、もう放って置いて欲しい、そんな気持ちになっているのだろうと思われます。

 さて、元の歌に戻れば、「友」を「俺」に入れ換えたことによって、歌は、「俺」の内面を問題にしたものに抽象化されています。ただし、図式としては「友」の場合と同じものになるでしょう。

 見送る側の「俺とその妻」は、去ってゆく「俺」をそのまま放っておくわけにはゆきません。引き留めることも出来ないのですが、それでも別れ難いとする執着心は捨てられないのでしょう。見送る側の「俺」は、現実の日常生活を送る「俺」だと言えるでしょう。

 それに対して、去ってゆく「俺」は、そうした日常生活を離れて、どこか別の世界、日常性を越えたある精神世界に旅立ちたいと願っているのでしょう。何故去るのか、何処へ行くのかはわかりません。もしかしたら、「俺とその妻」の日常から抜け出したいだけなのかもしれません。

 上のように読むと、この歌には、日常性からの脱却の思いと、抜け出そうとしてもどこまでも纏い付く日常性、それへの倦厭の思いが歌われたことになります。

 ちなみに、「俺とその妻」が自分を見送っていることをちゃんと知っている「俺」は、結局のところ、「俺とその妻」のもとにまた帰ってゆくのだろうと、そんな気がしています。

2008年

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