短歌鑑賞2

池田 はるみ (いけだ はるみ)

人物

 1948年〜 (昭和23年〜 )。和歌山県生まれ。

 結社「未来」。 「ガーゼ」 「婚とふろしき」 「南無 晩ごはん」など。

鑑賞

わたくしはお湯の中にてすつぽんぽん雲の流れの早きゆふべに

 「すつぽんぽん」という語は、何となく楽しい気分を醸し出します。この三句目、例えば「裸なり」となっていたのでは、お風呂に入っているのだから当たり前じゃないか、ということになります。いかにこの句が大切かがわかります。「すつぽんぽん」には、丸裸で、隠したり覆ったりするものが何もないという、生まれたままの純粋さや朗らかさが付与されています。上の句は、湯に浸る人の、飾り気のないおおらかさを感じさせてくれます。

 下の句ですが、これも例えば「雲がぽつかり浮かぶゆふべに」とでもなっていればどうでしょう。本当にのんびりとした入浴風景となり、歌は解放的気分に満たされます。ところが、「雲の流れの早きゆふべに」となっています。雲が奔るように流れてゆく景は、一方では浪漫的気分をかき立てるものでしょうが、ここではすつぽんぽんの「わたくし」と対比されているものです。風雲急を告げるというほどではないものの、すみやかに移り動く世界が示されています。不安な気分や一種の暗さを感じさせる情景です。お湯の中で「わたくし」はそのことに思いを馳せています。そうした外の世界からすれば、「すつぽんぽん」というのはあまりにもたあいなく、無防備な状態ではありませんか。

 下の句と関わらせた時、「すつぽんぽん」という言い回しが微妙なニュアンスをもっていることに気付かされます。このおおらかな表現が、実はわざと自分を明るくとらえようとしたものではないかと思えてきます。ほがらかさとないまぜに、「哀れさ」も同時に感じさせられるのです。自分に対する一種の揶揄としてもとることができます。

 そのように思いながらもなお、「すつぽんぽん」には詠み手の自己肯定感を感じずにはいられません。

2008年

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