短歌鑑賞2

日高 堯子 (ひだか たかこ)

人物

 1945年〜 (昭和20年〜 )。千葉県生まれ。 結社「かりん」。 「樹雨」 「睡蓮記」 「雲の塔」

鑑賞

じつとりと眼をしばたたきわれを見る亀をしばらくひつくり返す

 眼をしばたたきながらこちらを見る亀は、人物化されていて、そのキャラクターのおもしろさが歌の魅力です。首を伸ばした亀の顔、目蓋をゆっくりと上げ下げする様などが思い浮かぶでしょう。
 そして、その亀の様子をとらえて、詠み手は「じつとりと」という副詞を用いました。ねばりけのある湿った感じがあります。言ってみれば、淫靡な情念をじっと抱きながら、しかし臆病にもそれを表には出せず、うるんだ視線を「われ」に向けて思い詰めている人物、とでも言えるでしょうか。

 この亀は詠み手である「われ」によくなついているのでしょう。亀のその視線は「われ」への思い入れ、親しみのしぐさであるかもしれません。ですが、この時の「われ」は、亀をかわいく思うと同時に、その粘着質な視線をいやらしく、少し疎ましくも感じたのでしょう。ちょっとばかり拒否して、いたずらっぽく扱います。
 「ひつくり返す」というのは、亀にとっては決定的な打撃です。けれど、それも「しばらく」のことです。「われ」は、亀を懲らしめるような行動をとることで、自らの屈託した気分を紛らわそうとしているのでしょう。啄木の「蟹」とたわむれたという対応のしかたに似ています。

 歌は「ひつくり返す」で終わっていますが、私はひっくり返された亀を思わずにはいられません。突然の事態に進退きわまり動転する亀のうろたえようは、哀れなものです。哀れを通り越して滑稽でもあります。
 私は亀の側に身を置いて、ひっくり返されてじたばたしている自分を思いやってしまいます。そして、あんまりじゃないですか〜≠ネどと嘆くしか仕方がありません。

2008年

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