短歌鑑賞2

奥村 晃作 (おくむら こうさく)

人物

 1936年〜 (昭和11年〜 )。長野県飯田市生まれ。 東大経済学部卒。

 1961年(昭36)「コスモス」入会。 歌集に『三齢幼虫』(昭54)など。

鑑賞

轢かるると見えしわが影自動車の車体に窓に立ち上がりたり

〔注〕轢かるる……(ひ)かるる

※『蟻ん子とガリバー』(平成5)所収。

 道に落ちている自分の影を自動車が轢いてゆく、と思った瞬間、影は自動車に映ったというわけです。ふだん私たちもよく目にしている風景のはずです。ところが、その風景をこの歌のように意識化してとらえたことはあまりないことです。言葉にされて提示されたとき、その景にあらためて気づかされ、驚かされます。日常の何でもない景色が、何か深い意味をもつかのような錯覚に見舞われてしまいます。

 ぼんやりと見やっていた自分の影が立ち上がってきたとき、意表をつかれた思いになります。轢かれるしかない受動の存在が、実は強い意志をもつものであったかのように、印象づけられてしまいます。

 ちなみに、齋藤史に次のような歌があります。

わが影を轢きて去りたる自動車が野の夏草に溺れてゆきぬ

※『ひたくれなゐ』所収。

 齋藤史の歌では、影は自動車に轢かれてしまいます。そしてそこに詠み手の情念のようなものがこめられているようです。

 齋藤史の歌と比較するまでもないことですが、先の歌は、詠み手の情を捨象したところで詠われています。眼前にある現実のひとこまを、「影」というものの性質を客観視したところから、とらえていると言えるでしょう。

 冷静に事実を見据えながら、「影」を見ている詠み手の人物をも暗示しています。

 作者には次のような歌もあります。

次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く

※『三齢幼虫』(昭54)所収。

もし豚をかくの如くに詰め込みて電車走らば非難起こるべし

※『鬱と空』(昭58)所収。

 一首目は、日常的な風景の中に何か違和感を感じさせる歌です。二首目は、仮定を用いて現実の異常性に目を向けた歌と言えそうです。ともに詠み手の、現実に対する冷徹な目を感じさせられます。

2012年

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