短歌鑑賞2

朝井 恭子 (あさい たかこ)

人物

 1934年〜 (昭和9年〜 )。福島県に生まれる。

 結社「地中海」。 「風韻」 「如月の譜」 「水の余韻」など。

鑑賞

物故社員合祀のしらせ社より来ぬ夫よみ魂は自由であれな

〔注〕物故……死去。   合祀……二人以上の霊を合わせまつること。

 大手の会社ともなれば、「物故社員合祀」などということが今も行われているのでしょう。大企業においては、これまで終身雇用制を基本とし、賃金体系も年功序列による形がとられていました。最近では職務遂行能力に基づく職能給の形などが取り入れられ、また「リストラ」や「出向」などに見られるように終身雇用の慣行も崩れつつあります。そのような中でも、企業をいわば家父長的家族制度に見立てる感覚で、労働者に企業への忠誠や献身的努力を求める精神的風潮は残されているのかも知れません。「合祀」というのも、そういった精神的土壌に依拠した営為のように思われます。

 長年勤め上げた会社には、本人としては愛着も持つものでしょう。その職を得ることで生活を保持してきたのだとも言えます。しかし客観的に見れば、様々な拘束を受けながら労働力を搾取されてきたことには違いがないのです。組織の一員として自らの人間性を押し殺してきたとも言えるかも知れません。そうした状況の対局にあるものとして、歌にある「自由」という語の意味を考えたいと思います。

 上の句で出来事を記述し、下の句は夫への呼びかけの形をとった思いの表明となっています。合祀のしらせが来た時、有り難いことだ≠ニ受け止める思想的立場もあり得るはずです。しかし詠み手は、死んでからも夫が会社に縛り付けられるように思われたのでしょう、そのしらせを拒否的な気分で受け止めています。ここには、詠み手の、今は亡き夫へのいつくしみを感じます。そして、「自由であれな」と呼びかける詠み手の、人間的な精神の自由さをすがすがしくも思うのです。

2008年

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