短歌鑑賞1

俵 万智 (たわら まち)

人物

 1962年〜 (昭和37年〜 )。大阪府生まれ。早大卒。

 佐佐木幸綱に師事、1983年(昭58)「心の花」入会。

 歌集に、「サラダ記念日」(昭62)、「チョコレート革命」(平9、1997)、「プーさんの鼻」(平17、2005)などがある。

鑑賞

白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる

※『サラダ記念日』(昭62)所収。

「うっふんうっふん」というオノマトペ

 店先に白菜が赤い帯で葉をまとめられて並んでいる、その様子を歌った歌です。

 白菜の「白」と赤帯の色の対比も鮮やかですが、この歌のおもしろさは、なんと言っても「うっふんうっふん」というオノマトペです。白菜を擬人化しています。

 「うっふんうっふん」というのは、やわらかい感触で、人の気をそそるなまめかしさがあります。このオノマトペは、白菜を、媚態をさらす女性のイメージとして変身させてしまいます。白菜の白さは白粉の白さ、赤帯はまさに着崩した着物に巻かれた帯を連想させます。それが店先に並んでいるわけですから、白菜は遊郭にはべる遊女ということになります。「うっふんうっふん」は、わたしを買ってくださいなと女が男を誘っている風情をたとえています。

陰鬱な嫌悪感

 詠み手は買い物にでも来ていたのかも知れません。目にした白菜を上のようにとらえてしまいました。詠み手が女性だとすれば、「まあ、いやらしい。男に媚びを売って。」といった、同性への嫌悪感を引き起こされたのだと思います。あるいは、男に媚びる女の女性性に思いを巡らせていたのかもしれません。

 この歌を読んだときに、日常的な見方を一転させられた新鮮さをおぼえます。さらには「うっふんうっふん」から、まるで加藤茶がテレビでおどけるようなおかしさも感じさせられます。そして、なんだか楽しい、愉快な気分にもさせられる印象があります。けれど、そうした軽やかな言葉づかいの底に、詠み手の暗い気分を想像しないではいられません。

 白菜を題材にして、人間のいやらしい部分をとらえるところに、詠み手の澱んだ暗鬱なものが潜んでいるような気がします。

2012年

鑑賞

はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり

※『かぜのてのひら』(平3、1991)所収。

 並んでいるのは二人で、それも恋人同士だと決めつけて読みたいと思います。

 ここで、並んで花火を見ている二人は全く正反対の見方をしています。それぞれの意識は異質なものとして別々の方向を向いています。一緒に花火を見るという共通の行動をとりながらも、「闇を見る人」は、花火の華やかな光の中に、否定的なもの、例えば恋愛の破綻する予感といったものをじっと見詰めています。

 詠み手は自身を「闇を見る人」として登場させているはずです。「光を見る」というのも象徴的な表現ですが、「花火」に「光を見る」のは比較的普通のとらえ方でしょう。しかし、「闇を見る」というのは特別なとらえ方です。一人は「光」を見ているだろうが、詠み手は同じものに「闇」を見ているというつぶやきなのだと思います。

 歌は、二人の人物を客観的にとらえて歌っています。詠み手の感情を排して単に事実として語るところに、読む者は救われます。深刻な思いをひそめて、淡々とした気分をかもしだしています。

2012年

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