高校生の短歌鑑賞
人物
高校生による短歌の鑑賞文を紹介します。
正岡 子規
いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす
本当の意味での強さ
この短歌を読んで、まず最初に感じたことは、作者の死を覚悟した思いです。紫色の少し大きな花びらを持ったいちはつの花が、生命力をあふれさせるように力強く咲いているのを見て、作者である正岡子規は、辛かったと思います。もう再び春を迎えることはできないだろうと思いながら、自分とは正反対の生き生きとしたいちはつの花を見ているのだから。作者は、この歌では、死を受け入れているように書いているけど、この気持ちになるまで苦しかっただろうなと思います。
私は、最近友達が亡くなって人間の死ってあっけないものだなと思いました。友達は死を予期していたかは、分からないけれど、正岡子規のように自分の命の短さを知ったら、きっと毎日が怖いと思います。「いつ自分は死ぬのだろうか。」と不安に思う毎日はすごく辛いと思います。だから、正岡子規のように、死を受け入れられる人は、強い人だなと思います。私には、死を受け入れられるような強い心を持っていないので、もし自分の命が残り少ないと知ったら……。きっとショックで立ち直れないと思います。
正岡子規は、病床にありながら歌を歌った歌が多いけれど、どの歌にも、病に負けまいという思いがこめられていて力強いと感じました。私も正岡子規のように強く生きる人間になりたいなと思いました。正岡子規の歌を、昔は暗いというイメージしか持っていなかったけれど、今では明るいとはいえないけれど前向きな感じがする歌だなと思います。
1998年
石川 啄木
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
〔青春の跡〕
ふと上を見上げると突きぬけるような青空に白い雲が浮かんでいた。思い出されるあの頃……。
「十五の心」と止めているが作者自身が今、十五歳ではない。不思議な印象をうけてしまう表現で書かれているこの短歌。実は回想であると知った時は何とも表現しにくい気持ちになる。「草」「空」と色彩を感じさせる言葉も使われ、全体の詩のイメージとしては「明るい」。柔らかな感じもうけ、季節で例えるなら「春」なのではないだろうか。
かといって、この歌を作った時の作者が「春」だというわけではない。一番希望に満ちた時への追憶、ということもあり、「秋」もしくは「冬」とでも言えるのではないだろうか。私自身の経験と重ねて言えば、過去をなつかしむ時は、今自分がおかれた立場が辛く苦しい時なのだ。作者も貧しさや胸の病などとかなりつらい状況におかれているのであろう。
ふと見上げた「秋」の作者が思い出すのは、大空に夢を託し、雲に希望をのせた「春」の少年時代。十五歳頃の純真でまっすぐな思いが心からなつかしく思われる。あの時に戻ることはかなわぬ願いだが、せめて心が戻ってくれば……。
そうやって作者は大空を見上げていたのかもしれない。
1998年
石川 啄木
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
この短歌には、非常に自尊心のたかい啄木の、自分の友達が全部自分より偉いのではないかという、あせりと失望のようなものが感じられる。自尊心の高かった啄木は、おそらく今の自分の苦しい生活がたえきれず、成功するだろうという希望を持ちながらもあせりを隠せないでいる。妻と話をし、あせりや失望を必死で忘れようという啄木の姿がうかんでくる。
故郷の岩手県渋民村から、単身東京へ渡り、わずか四ヶ月たらずで故郷にもどった。非凡な才能を持ちながら、中学を中退して、学歴がないために成功せず、おもてに出られないくやしさ、あせり、失望を、妻とともに忘れようという啄木、失意とあせりの中で、実生活にねざした歌を制作している。東京での生活は、啄木のもつ、すべての自尊心と誇りに、深い傷を残したのだろう。傷ついた自分を想い、又、傷ついた自分自身をなぐさめるために花を買ってきて、妻の力を借りたのであろう。
自尊心の高い人間が自分自身をさげすみの目でみるというのは、たえきれるものではないと思う。しかし啄木は、あえて現在の自分というものを、正確にとらえ、自分自身をさげすんでいたのだろう。失望と希望、さげすみと自尊心というような矛盾が感じられる。
1982年
若山 牧水
幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく
この短歌には、言いようのない孤独感と寂しさが感じられた。と同時にどこまで行っても終わりのないこの旅に嫌気がさしてきた事も表れていた。恐らく作者は、目まぐるしく変わる世の中・自分自身に疲れ果て、それらに別れを告げるため旅に出、その代わりに何かを見つけようとしたのだろう。
作者は子供のころ一人きりで動物や、自然を相手に暮らしていた。だから作者は自然の中にこそ、見つけようとしたもの「自分の居場所」があると考え、旅に出たのだと思う。だが寂しさは膨らむ一方で、一人きりになってしまった孤独感まで生み出してしまっている。作者がこの歌を作った頃には、本当はこんな旅に出ても願いはかなわない事に気付いていたように思う。そして、「幾山河越えさり行かば」の所からは、この旅にうんざりし、疲れ果てている姿まで想像できる。それは作者が、人間の世の中で嫌というほど体験し、旅に出るきっかけとなった事となんら変わっていないと思う。もはやこの時の作者は膨らみ続ける寂しさと孤独感から逃れられないことに気づき、絶望していたのだと思う。
人は誰しも一度は、今居る世の中から離れ、全てを忘れたいと思う時がある。そして新しい地で幸せになりたいと思うのだろう。だが「忘れる事」=「なくなる事」ではない。ほとんどの場合、作者のように却って傷を広げてしまうだけだ。もし、本当に寂しさを克服したいなら、決してその寂しさから逃げ出さずに、それと面と向かって生きていかなければいけないと思う。この歌はその意味でも、青春という迷路に迷い込んだ人達への、作者からの警告なのかもしれない。
1998年
斎藤 茂吉
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
まるで自分の人生というものは、もうすでに決まっていて、あとはそれに沿って歩いていく。そんな印象をこの歌から受けた。「我が命」という部分に作者の長い一本の道を通らなければならないというような使命感が感じられた。まるで今までのことより、これから先に向かってつき進んでいくような、作者である斎藤茂吉の鋭いまなざしが浮かんでくるようだ。
茂吉はこの歌をつくるまで、こういう危機せまるような状況ではなかったと思う。しかしある時、彼の周辺で異変が起こり、自分の進むべき道はこれしかないと、一つにしぼり込んだのではないだろうか。誰かと共に生きるのでもなく、ただ一人で歩んでいかなければならないという作者の思いが込められたこの歌は、孤独感さえ感じられた。
僕もこんな人生の決定がせまられるような時が来ると思うと、何となく、さびしげで、自分の人生は自分で選ばなければならないという厳しさが感じられた。
1998年