短歌鑑賞1

斉藤 史 (さいとう ふみ)

人物

 1909年〜2002年(明治42年〜平成14年)。東京に生まれる。

 昭和37年(1962)「原型」を創刊。

 歌集に『魚歌』(昭15)、『うたのゆくへ』(昭28)、『ひたくれなゐ』(昭51)、『秋天瑠璃』(平5)などがある。

鑑賞

白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り

※『うたのゆくへ』(昭28)所収。昭和23年の作。

「白きうさぎ」の不運

 この歌の初句「白きうさぎ」は、字余りになっています。「白うさぎ」とすれば5音になるところを、6音で「白きうさぎ」としたのは何故でしょう。リズムの上からということもありますが、こうすることによって、このうさぎが白いうさぎなのだということを強く印象づけることになっています。

 山は真っ白な雪の世界、白いうさぎが雪山に籠もっていれば、白は保護色となって容易には猟師に見つけられることはなかったかもしれません。それを、山から出て来たばっかりに殺されるという運命をたどることになります。このうさぎに、山を出るどのような動機があったのかはわかりません。しかし、やむにやまれぬ行動だったのでしょう。その自らの行動をひとつの要因として自らの不幸な運命を引き寄せてしまったのだとしたら、悔やみきれない悔恨ということになります。

不条理な死

 また、見開かれたうさぎの眼はとても印象的です。殺されたあとに見開かれた眼は、読者にその無惨を感じさせ、一方「うさぎ」の驚きと無念を思いやらせます。

 うさぎが眼を開けたまま死んでいる、そこには死という状況があるばかりなのですが、読者にとって「眼」は死後も何かを見つめている、と思わずにはいられません。「うさぎ」は何を見つめていると言えるでしょうか。

 その前の、「殺されたれば」という表現には微妙な含みを感じます。「殺されたときに(眼を見開いていた)」と、偶然の事情をつないでいるのですが、同時に、「殺されたので」と、眼を見開いていることの原因を示しているともとることができます。後のように読めば、「殺されたので死後も眼を開いているのだ」となります。死んだ「うさぎ」になりかわって言うならば、「なぜ自分は殺されねばならなかったのか」と叫ぶことになるでしょう。

 山から出て来たという行動が一つの要因であるとしても、自分が殺されなければならない理由はどこにもない。自分の意志とは無関係なところで自分の運命が決定づけられる。不条理としか言いようがありません。

 悔恨の情もさることながら、それ以上に自らの上に見舞う不条理な運命への驚怖と憤りを内に潜めた歌と言えます。

寓詩ということ

 歌はうさぎの死の状況を詠んだものです。それを大袈裟に、上のように述べたてました。それというのも、この歌を読むとき、うさぎのことを詠みながら、実はうさぎを人に見立てて表現しているのではないかという思いにとらわれてしまうからです。イソップ童話のように、寓意をもつ歌としてこの歌を読んでいます。

 作者は、この頃、長野県に疎開生活をしていました。撃ち殺されたうさぎを実際に目撃したのかもしれません。「うさぎの無惨な死」を見つめた歌なのですが、それにとどまらず、上に述べたような図式でその寓意を自分の経験にもあてはめて色々と考えてみるのもおもしろいかも知れません。(もちろん、殺されるところは不幸な出来事ぐらいに置き換えて。)

2012年

鑑賞

指先にセント・エルモの火をともし霧ふかき日を人に交れり

※『魚歌』(昭15)所収。昭和8年の作。

「霧ふかき日」の思い

 この歌は、現代の若い人たちにも人気のある歌だと思います。

 上の句が下の句の隠喩になっていて、それが歌の魅力になっています。

 「セント・エルモの火」は、「船のマストや教会の塔など、とがった物体の先端でかすかに燃えるように見える青紫色の光。地中海で船のマストに現れたのを見て、聖なるエルモの火と呼んだことに由来する。」と辞書にあります。「エルモ」は船乗りの守護神、となっています。

 霧のたちこめた海を船が進んでゆく、その帆先に青紫のひかりが出現する。そのひかりは、船の航海を守り導いてくれる神の意志だと言うのです。とても幻想的です。そしてエギゾティックでもあります。

 人と関わった、この日の心持ちを上の句のようにたとえました。そのことによって、「霧ふかき日」の「霧」は心理的な表現になっています。「人」との距離感もつかみがたく、どのように進んでいいのか、どう振る舞えばいいのか、手探りのような気分であったのでしょう。火を「指先に」ともすというところには、震えるような繊細な思いを感じさせられます。

 「人」と関係をもつときの、茫漠とした中でのこの祈るような繊細さが、若い人たちにとっての魅力なのだと思います。

老年の歌

人に向きほほゑむは礼儀の一つにて老女二十四時楽しきならず

※『風翩翻』(平12)所収。

 「二十四時」は「しろくじ」と読みます。

 齋藤史は93歳で亡くなるまで、歌を詠みつづけています。年老いては、その位置から人の存在を見つめ歌に詠みつづけてきたように思います。この歌のように、老いた自身をとりあげて、人間に対する表層的な見方をやりこめる、といった明晰さ、率直さに感動せずにはいられません。

2012年

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