若山 牧水 (わかやま ぼくすい)
人物
1885年〜1928年(明治18年〜昭和3年)。宮城県に生まれる。早大英文科卒。
明治43年(1910)「創作」を創刊。多くの旅の歌を残している。
歌集に『海の声』(明41)、『別離』(明43)、『路上』(明44)などがある。
鑑賞
山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく
※『別離』(明43)所収。
旅を好む牧水
作者が二十歳を過ぎたばかりの歌です。牧水は旅が好きで、しかも一人旅を好んだようです。日常から解放されて自分自身を静かに見つめ、旅先の風物に心を遣る、そのような旅に強いあこがれを抱いていたのでしょう。
「国」とありますが、外国旅行をしたわけではありません。昔は土佐国、備前国、紀の国などと、土地土地を呼んでいました。あの「国」です。実際は中国地方を巡る旅だったようです。明治時代の日本の、田舎めいた土地を想像しなければなりません。もちろん、イタリア旅行などしながらこの歌を思い出してもいいのですが、牧水の歌だということで、日本の鄙びた土地を背景として考えたいと思います。
また、「町」や「村」ではなく「国」というところに、イメージとして、大きなひとまとまりの世界が浮かびあがってくるように思います。
「ねむる」のリフレーンと「かなしき春」
「ねむる」(擬人法)を重ねて、世界中が静まりかえって暗いといった情景を描いています。暗い中にも山の稜線が黒く浮かび上がっているかもしれません。海も、そこにあるものの暗く潜んでいます。そんな海沿いの道を行くと、寂しさはひとしおです。山がねむる、海がねむるというリフレーンは、今目覚めているのは自分一人なのだという孤独感の表現になっています。
ですが、時は春、空気は暖かいとまではいかなくても、冷たくはありません。暗い気の中にも春めいた感触を感じさせられます。ものみな寝静まったような春の夜の雰囲気には、つややかな魅力があります。
「かなしき」は、「かなし」という形容詞の連体形です。「かなし」は、「悲(哀)し」と「愛し」の両方の意味を含み持ちます。「悲しくなるほどいとおしい」「いとおしいがゆえに悲しくなる」というふうに、悲しさと愛しさのないまぜになった感情を表します。
上に述べたような情景の中で、旅ゆく詠み手がひしと寂しさを感じると同時に、春の気配に心ひかれながら、その寂しさをもいとおしむ、そんな気持ちがこの「かなしき」に集約されています。
旅の孤独を抱きしめながら、なおも旅をつづけてゆく、その自身の姿に牧水は若々しいロマンを感じていたのではないでしょうか。
生きるさびしさ
この歌と同じ時期に作られた歌に、次のような有名な歌があります。
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
※『海の声』(明41)所収。
「白鳥はかなしいではないか。空の青にも海の青にも染まらずに漂って飛んでいるよ。」の意。「白鳥」に自己投影しつつ、若々しい潔癖さとそれゆえの悲愁を歌っています。
幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく
※『海の声』(明41)所収。
「どれほどの山や河を越えて行ったなら寂しさの全くなくなる国があるのか。(そんな思いで)今日も旅をゆく。」という意。
これらの歌にもやはり、寂しさやかなしみを深く抱きながら生きてゆくロマンが歌われています。
高校時代に旺文社文庫『若山牧水歌集』を読みながら、そうしたところにこころ惹かれたことを思い出します。人間が生きてゆく、その生きること自体がさびしいのだ。生きるさびしさ、生きるかなしみを抱きながら生きてゆく、それが生きるロマンなのだ。などと、何か悟った気分になったのでした。
私が感じたような素朴な感慨など通用しないのが現代かも知れません。最近、こんな歌を目にしました。
海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した
平岡 直子
「生きる」ことではなく、「生き延びる」ことが現代の若者のテーマなのだと驚かされたのでした。そうだとすれば、牧水の時代は、貧しさや暗さなどを伴ってはいたにせよ、「しあわせな時代だったよな」と映るような気がします。
2012年