短歌鑑賞1

石川 啄木 (いしかわ たくぼく)

人物

 1886年〜1912年(明治19年〜明治45年)。岩手県に生まれる。盛岡中学中退。

 与謝野鉄幹らの「明星」に詩・短歌を発表する。

 歌集に『一握の砂』(明43)、『悲しき玩具』(明45)がある。

鑑賞

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

※『一握の砂』(明43)所収。「我を愛する歌」の中の一首。明治41年作。

小さな生き物としての「蟹」

 「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/□とたはむる」としておいて、□に入る語を考えてみて下さい。選択肢は〔波・風・友・砂・蟹〕です。「たわむれる」という語とつないだ場合、それぞれの選択肢によって異なるイメージが喚起されます。

 「蟹」は、自分よりも小さなもの、しかも生きているもの、でもその動きは小さくてぎこちないもの、そうしたイメージが「泣きぬれて」いる「われ」と響き合います。何があったのかはわかりませんが、失意に涙している「われ」は、自分の気持ちをまぎらそうとして、小さな蟹をつついてたわむれています。大の大人がずいぶんと子供じみたことをしています。いじましいかぎりではありませんか。

 歌は、失意に涙する卑小な人物を描きだしています。

ズームアップの手法

 1行目の句は場所を詠んでいます。その際、「東海の」として広々とした東の海から歌い出しました。そして「小島」から「磯」、「白砂」の上へと、まるでカメラでズームアップしてゆくように、大きなものから小さなものへと焦点を絞っていきます。そこにいる「われ」は何とも小さな存在です。このズームアップの手法は「われ」の卑小さを際立たせます。

 ところで、「東海の小島」とはどこなのでしょう。函館の浜辺に石川啄木小公園があって、そこにこの歌が刻まれた啄木の像が建てられています。実際にはどこなのか、といった詮索はむずかしいところがあります。ただ私は、「東海の小島」とは日本のことなのだろうと思っています。大陸の東の海に浮かぶ小さな島、それが日本で、そのどこかの磯辺に「われ」はいるのだと読みたいと思うのです。そう決めつけるのが目的ではなくて、それぐらいの視野で啄木は「われ」をとらえていたのではないかと考えたいのです。そう考えたくなるほど、先に述べた卑小な「われ」を、歌はきちんと卑小なものとして描き出しているのだと言えるでしょう。

自己の客観視と自愛のおもい

 「われ泣きぬれて/蟹とたはむる」という句は、感傷的です。失恋やら挫折やらその中での自己嫌悪やら、読者は様々なシチュエーションを想起しながら、この句に共感を覚えます。(もっとも現代の若い人達はこれほどセンチメンタルにはならないと言うかも知れませんが。)「われ」もまた、自ら感傷に浸っているとも言えるでしょう。卑小などと強調しすぎましたが、それは外側から見た場合のことです。苦悩に涙する詠み手が、蟹とたはむれながら自らを慰め、踏みとどまっているというのがこの歌です。

 啄木は、感傷に涙する自分を、大きな視野から見ればとるに足りないちっぽけな人間だととらえた上で、それでも苦悩に涙する自分をこの上もなく愛おしく思っているに違いありません。

啄木の思い出

 歌われた情景・事象に加え、そのように歌わずにいられなかった作者の思いを想像するとき、啄木の歌はとても味わい深いものです。ただ、歌はすこぶる平易で、すんなりと読者のこころに入ってきます。

 大学時代、同じ学科の数人で読書会をしていたことがあります。文庫の「石川啄木歌集」を手に、毎回十首ずつ感想を述べ合ったりしていました。中に、啄木に心酔している友人がいました。その友と啄木の歌を一首ずつ交互に暗誦し合い、どちらがたくさん覚えているかをゲームのように競ったりもしました。理屈ぬきに啄木の歌を受け入れていたように思います。

 現代からすれば、啄木の歌は甘ったるくて、もの足りないものであるのかもしれません。けれど、若い人にも一度は読んでほしいと思っています。

2012年

前へ次へ